「認知症の発病から看取りまで」(高齢社会への対応を探る会企画講演)

■「高齢社会への対応を探る会」が企画した講演会に行ってきました。
「高齢社会への対応を探る会」とは、 社会福祉協議会、我孫子市内の市民活動団体、NPO法人、福祉施設事業者などが集まり、高齢社会の課題を把握し、高齢になっても元気に、安心して暮らせる我孫子をつくるための提言や啓発活動を行うことを目的とした連合組織です。
各種講演会などは、市の委託事業となっており、市の8つの関連部局と協力連携をとっています。
なお、この会にはACOBAも参加しており、ACOBA副代表理事の坂本冨彦さんが企画運営の中心的なメンバーとして活動しております。
今回(2020年2月11日)の講演会は、認知症専門医でおられる袖ケ浦さつき台病院の細井尚人先生をお招きして「認知症の発病から看取りまで」というテーマでお話をしてもらうというものでした。
実は、この講演会は2019年10月12日に行う予定でしたが、折しも台風19号のために中止。
日と場所を変えての今回の講演会となりました。

■長年介護認定審査会に携わってきた星野市長
会長の挨拶に続き、星野市長からの挨拶がありました。星野市長は、市長になられる前には我孫子市の介護認定審査会に長年携わってきたこと。我孫子市は介護保険制度が始まる1年前からモデル事業として行っていたこと。
当初は、認知症がかなり進んでいて日常生活に大変な支障をきたしているのに、身体機能に問題がないために介護認定されないことが普通でしたが、我孫子市においては、その事を大きな課題と考え、身体機能に問題がなくても、認知症が進んでいる方を介護認定するという我孫子独自の方式(「我孫子式」)を編み出し、実施した。
この試みは、新聞などでも広く取り上げられ日本全国で大きな話題となり、厚生労働省の職員などが、我孫子の認定審査を見学にくるなどして、結果的には、いまや我孫子式が日本全国の模範となっているということなどをお話しされておりました。
介護認定審査について、我孫子式がいまや全国の模範になっていることは少し誇らしいですね。

■まるで漫談のような細井尚人先生の講演会
「会場は、たびたび爆笑の渦に!」
今回の講演会のテーマは、「認知症の発病から看取りまで」という重いテーマであり、私も細井さんのお話を直接お聞きしたことがなかったのですが、細井先生の少し毒舌でユーモアたっぷりの話し方には、びっくりしてしまいました。
「認知症に対する正しい理解をしてもらう」ために、内容的にシリアスな事をお話するにあたって、配慮されているんだなあと思いました。
「細井先生の略歴」
細井先生は、1994年に富山医科薬科大(現富山大)を卒業後、千葉大精神科に入局され、1996年に「袖ケ浦さつき台病院」に入られ、2000年から認知症治療病棟、認知症デイケアを担当されている認知症医療の第一人者です。
袖ケ浦さつき台病院は、409床(うち精神科218床)という大きな病院であり、認知症専門医療の提供と介護サービスとの連携を担う中核機関としての認知症疾患医療センターとしての指定を受けています。
千葉県の認知症医療センターについての説明はこちら
「認知症とは?」
細井先生からあらためて認知症の定義をお聞きしました。
認知症とは「不可逆的、すなわち治らない認知機能の低下によって日々の生活に支障がある状態
日々の生活に困っていなければ、認知症には該当しないのですね。
ちなみに先生によると認知症の本人に「何か困っていますか」と聞くと8割の人は「何も困っていません」と答えるそうです。
本人・家族・地域社会、、誰にとって困っているかを考える必要があるのですね。
「専門医が認知症の判断で重視していること」
先生によれば、最も重要なのは「生活歴、すなわちいままでどういう生活をしてきたか?そして今はどうか」ということ本人や家族などから聴取して、「行為の変化」を把握することだそうです。
それが、脳の写真や認知機能試験などよりもはるかに重要とのこと。私は認知症は、脳の写真や長谷川式のテストなどでわかるものと思っていました。
認知症は、「日々の生活に困っていること」状態であり、本人も自覚していないことも多いので確かにそうだよなあと思いました。
「認知症の薬について」
対認知症薬がほとんど効かないのは「もの忘れ」
だそうです。
記憶障害や見当識障害などの中核症状を治療するものではなく、徘徊や暴力などのBPSD(行動・心理症状)を抑えるものなのですね。
だから薬はあくまでも補助的なものであって、「周囲の関わり」や「本人の役割」が大切とのことでした。
「私は誰一人として治したことのない藪医者です」
最後のこの言葉で会場は大爆笑の渦に包まれました。
しかし面白い言い回しでありますが、まさに認知症医療の本質を表している言葉だと思います。
治す、回復させるのではなく、向き合って寄り添い豊かに生きていくための助力を惜しまないということをあらためて感じました。
(くりわん)